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2008年4月

犀川先生ゲーム

昨日の記事で紹介した「議論の余地しかない」。

これを読んでいると、私なんぞはミステリーを書きたくなるのですが、

あまり深く考えず、それぞれの言葉で30秒ほど考える位なら、

適度な頭の体操プラス気分転換になると思います。

「完全犯罪」の定義はいろいろありますが、ある小説では、

「迷宮入り事件」の間逆、つまり「一度、警察なり探偵なりが解決した事件」

が取り上げられています。謎のままだと、挑戦する人が登場するが、

まあまあ納得できる解答を教えられてしまうと、それ以上は考えない、ということです。

森さんの言葉から引用すると、「真実とは、放った矢が、的の中心にどれだけ

近く当たったか、である。どの的を狙って放たれたかには関わりなく。」

この言葉の行間を30秒~1分考え込んでいるとミステリーを書きたくなります。

さて、気分転換になる方の言葉を紹介しましょう。

「正しい情報なんて、もう残っていないだろう。

正しい情報ほど、早く消え去るものだ。」

このように、印象深い言葉が出てくるのが森博嗣さんの本ですが、

大学時代に友人とやっていたのは、森さんの本で出てくるセリフに近い、

ちょっと意味ありげな応答ができるか、を競い合う「犀川先生ゲーム」です。

例えば、「偶然の半分は人間の努力の賜」という言葉があったときに、

「残り半分は…」の「…」に何を入れれば一番しっくり来るか、を考えたりします。

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絶対的な価値相対主義

この本は紹介を少しためらってしまうのですが、

大学時代に、ほぼ唯一、立ち見回も含めて全出席して聴いた

教養課程の授業を担当していた宮台真司先生の本です。

朝日文庫の「これが答えだ!」は660円ですが、

108問のQ&Aが収録されていて、コンセプトとしては、

森博嗣氏の「議論の余地しかない」(PHP研究所)をよりストレートにした、

というか、正確には、宮台先生の一問一答を、

小説からの引用という形でオブラードに包んだのが、

「議論の余地しかない」(1,100円)の方なので、

オブラードに包む方が高い、という経済原理に沿った形になっています。

さて、宮台先生の本で紹介されている対立構造の中で、

「枢軸国的尊厳」vs「連合国的尊厳」という対立があります。

第二次世界大戦の背景にある対立ですし、現代でも、

United Nation(国際連合)中心主義に対する反発が強い原因は、

この対立にあると思われます。

曰く、この対立は近代以降の尊厳形式の対立で、

「枢軸国的尊厳」が、崇高な秩序や理想的共同体との合一で得られる自尊心

「連合国的尊厳」が、愚行・自傷をも含めた自由の下での

試行錯誤の積み重ねから得られる自尊心、という整理です。

後者は、人権・民主主義というアメリカが世界に広めようとした考えで、

18世紀のイギリス自由主義哲学が起源です。

宮台先生の整理では、20世紀は後者が前者を席巻していく歴史で、

両者は相容れることはない、としています。

国体との一体化を自らの尊厳と考える立場は前者に属するわけで、

「完全な自己決定」に対して否定的な立場につながります。

極端な話で言えば、安楽死は死の自己決定、売春は性の自己決定、

とも言えるので、これらに対して否定的な感覚の方は「枢軸国」的です。

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龍と雲

今日は、伊藤肇氏の「人間的魅力の研究」から、です。

この本は、奥付を見ると「昭和五十五年」発刊となっていて、

しかも、著者の経歴に「旧満州国立建国大学七期生」とあり、

「時代」を感じます。いわゆる「帝王学」系の本です。

その中で、石坂泰三氏の言葉として、

「龍の絵には常に雲が描き添えられている。それは雲を描かずして

龍の躍動をうきぼりにすることはできないからだ。」という話が

紹介されていました。雲は龍におけるベース(本拠)であり、

これを離れきるのではなく、雲間から、ほんのちょっぴり、

角を見せ、顎をちらつかせ、胴体の片鱗をあらわすにとどめるべき、

との韜晦術を述べたものです。

少しニュアンスは違いますが、相田みつを氏の言葉で、

「くさびだから一番大事なところへうつ

くさびだから見えないようにうつ」という言葉を気に入っています。

自分が本当に自信を持っているものがあれば、それをベースとして、

着実に成果を出していけばよいのだと自らに言い聞かせています。

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ハシゴ外し

もうすぐゴールデンウィークなので、本棚にある書籍から

いくつか紹介していきます。まずは「企業進化論」。

ナレッジ・マネジメントで有名な野中郁次郎先生が1985年の著作です。

その中で、本田技研の仕事のやらせ方について、

二階へ上げてハシゴを外して、さらに「下から火をつける」こと、

という表現がされています。また、川本信彦常務(当時。90年から社長)

の言葉として、「二階へ上げてハシゴを外して、後は飛び降りてこいよ、

降りられないヤツはそれまでだ、というスタイルですね。人間は、

ギリギリの極限状態まで追いつめたところで

創造性が生まれるんじゃないですか」と紹介されています。

ただし、追いつめるだけでなく、「普段は厳しく、ある時はゆるめてやって、

そこからピュッと吹き出してきたヤツは相当ジャンプがあるんですね」

といったことも考えているようで、この微妙なコントロールが肝です。

混沌が混沌に終わらずに、混沌から新しい秩序が生み出されるためには、

高度の情報共有と、相互作用の可視化が必要とされます。

チーム内で、市場での競争の情報、開発過程でのトップとの対話など、

膨大な経営上の情報を共有し、また、分業のワクがあいまいで、

何にでも口出しができ、1人1人の開発者が社長になったような気分を感じる。

こういう状態をどうやって作り出すか、もの作りの核心(革新)部分です。

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個人の犯罪とマスコミ報道

23日、野村證券のM&A情報を扱う部署にて「見習い」として

働いていた従業員が、内部情報を利用して不正に利益を得ていた、

としてインサイダー取引で逮捕されました。

「下働き」として書類作成などを手伝っていたために、

幹部よりも多くの情報を得ていた、という報道もされています。

好意的に見れば、個人の犯罪行為にすぎない、とも言えますが、

日経新聞の関連会社やNHKなど、マスコミ関係でインサイダーでの

逮捕者が出ていた状況下であったため、マスコミ以外で同種の事件が

起きれば、大々的に報道されてしまうことは十分に予想できたはずです。

しかも、市場ルールを守るべき証券会社での事件ですので、

今後もずっと報道され続けることでしょう。昔、A新聞の就職面接で、

「甲子園の出場高校で、野球部員による暴力事件がある、という情報が

入ってきたらどうするか」という質問があって、当時、模範回答として、

「春のセンバツ出場高校での不祥事を見つけ出して、それを報道した後、

ベタ記事で甲子園出場校の方の事件を掲載する」というものがありました。

マスコミ内部で何らかの問題が起きている時は、同種の問題が社内で

起きないように心掛けることが大事です。

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財布の数

昨日は、中国で味千ラーメンが店舗展開をしている、という話でした。

日本食つながりで、日本酒の輸出について書いてみます。

日本酒の輸出が、2007年に過去最高の1万1000キロリットル、

金額にして70億4800万円(前年比15.4%増)となったそうです。

最大の輸出国はアメリカです。アメリカだけで全体の3分の1です。

2位は台湾、3位は韓国です。アメリカでは、健康食として日本食、

特に寿司がブームであるので、輸出量は順調に伸びているそうです。

ただ、日本が輸入しているワインは、2006年の統計で11万9405キロリットル、

スパーリングワインだけを見ても1万9794キロリットル、ということで、

世界中で飲んでもらっている日本酒よりも、

日本人が日本国内で飲んでいるスパーリングワインの方が断然多い状況です。

外国で日本酒が飲まれるのは、外食の場で、しかも、「表」のお金を使う場面

だと思われます。それに対し、日本国内で飲まれるスパーリングワインは、

外食はもちろん、結婚式や家庭・パーティーなどのお祝いの席が加わり、

さらに、夜の街で「裏」のお金も入り交じって消費されているシャンパンが

かなりの量を占めると思われます。消費を考えるときに、

一般市民が消費するお金、企業の「表」のお金(帳簿に載るもの)

だけでなく、政治家・官僚が使うお金(帳簿に載るのは一部)、さらに、

全く表に出ることのない「裏」のお金も考える必要があります。

スパーリングワインの輸入量と、日本酒の輸出量の差は、

財布の数の違いから来ている、とも言えそうです。

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消費者感覚

熊本に本社があり、九州でチェーン展開している

「味千ラーメン」という店が、中国で爆発的に広がっているそうです。

日中合弁の会社が店舗展開をしているのですが、

日本側の出資比率は4.4%で、製品開発は日本が行っているものの、

メニュー構成、価格設定などは現地の中国人が決定していることが

成功の秘訣である、と2月2日号の東洋経済の記事では書かれていました。

曰く、中国では、数人の客が何点か頼んで取り分け、「和食」として

楽しむことが多く、「1品プラスαで35元」という価格設定が

絶妙であった、とのことです。1皿400元のパスタ店は撤退したのに、

たった5元(日本円では75円)安く、品数では1品未満のプラスαの違いで、

客の入りが全く違う、という点は記事としての面白さで作っている部分

もあるものの、私が面白いと感じたのは、日本では、

大皿で取って皆で取り分けて食べる典型が中華料理であるのに、

中国では、日本からの「和食」も取り分けて食べる料理とされている点です。

消費者感覚を掴むためには、現地の人に決定権を委ねる他ないのでしょう。

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「新」大阪、「新」横浜

在来線の駅と新幹線の駅が離れているところがあります。

これは、当時の運輸責任者が、「ある場所だけが非常に利便性が

高くなって、他の場所に比べて人が集中することは不公平」

という発想を持っていたため、基本方針として、

新幹線は、すべて在来線の駅とは別の場所が計画されていたものの、

東京・名古屋・京都の財界人が、その方針に対して猛反対をして、

政治力も使って対抗した結果、新東京駅・新名古屋駅・新京都駅はなくなり、

横浜や大阪はその方針にそのまま乗ってしまい、新横浜・新大阪となりました。

交通はネットワーク外部性が効く典型ですし、普通に考えれば、

多くの在来線が乗り入れている駅にそのまま新幹線が入るべきです。

当時は「ネットワーク外部性」があまり意識されていなかったようですが、

中央と地方の役割分担で目指すべき方向は、

中央における「集中化」と地方における「集約化・集積化」だと思います。

厳密には、集約と集積は目指すべきゴールは異なるようですが、

過程ではほぼ同様の事象が現れるようです。

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手品のタネ

映画「プレステージ」を見ました。まずは作中のセリフから。

「ここに来る人間は真実を知りたいわけじゃない。

タネを知れば、去って、二度と来なくなるだけだ。」

また、森博嗣さんの話になりますが、彼は、手品には興味がないそうです。

行間を読む限り、タネが分かってしまうのが多いことが理由のようです。

森氏曰く、「ただ、どうして観客が気付かないのだろう、という観点から

眺めると、その手法はミステリにつながる。」「単純な数学の問題もこれに近い」

「簡単な答なのに気付かないものが良い。そういった問題において、

どうして大多数の人は気付かなかったのだろうか、を考えることによって、

答に行き着く思考を妨害したメカニズムとは何か。それを抽出することが

できれば、ミステリが1作書けるだろう。」と、長い引用になりましたが、

私が皆さんに伝えたいのは、「オブジェクトではなく、メソッドを尊重する理系の思考」

という一節です。「答」ではなく「プロセス」、

ここでは「答にたどり着けないプロセス」が問題になっています。

その意味では、手品のタネは、物理的なタネと、もう1つ、

心理的なトリックが組み合わさって初めて成立するものです。

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魔術師→手品師

昨日の記事からの関連で、日本のミステリ小説で、

手品師が登場するものを紹介しましょう。泡坂妻夫氏の著作は、

自身が手品師でもあるため、手品に関係するものが多いです。

また、森博嗣さんの「幻惑の死と使途」は本来はシリーズものの6作目

ですが、S&Mシリーズの後半5作から読み始めた人、というのは、

リンカーン・ライムを映画から入るようなもので、変則的ですが、

その分、味のある読み方だと思います。

もし、森さんの本を1冊も読んだことがないなら、「幻惑の死と使途」から

「有限と微小のパン」(THE PERFECT OUTSIDER)までを読み、

その後、「すべてがFになる」(THE PERFECT INSIDER)に戻り、

前半5作を読む、という順序をしてみて欲しいです。

シリーズものは、いったん読んでしまうと、別の順序で読んだらどうなるか、

という思考実験がなかなか難しいものです。私の場合、

「ドルリー・レーン」シリーズも、「Zの悲劇」を最初に読んで、

次に、「Xの悲劇」「最後の事件」と読んで、なぜか、

一番有名な「Yの悲劇」は大学生になってから読んだ、という変則読者です。

かなりミステリーマニア的な話になってきましたが、今日の記事を書いていて、

「微小のパン」と「微少のパン」は何が違うのか、小学生に説明できるのだろうか、

という疑問が沸きました。

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リンカーン・ライム

最新刊は「ウォッチ・メイカー」。

映画化されたものは「ボーン・コレクター」。

私のお気に入りは「魔術師」。

このシリーズに映画から入った人は、黒人のライムが

自身の置かれた厳しい状況を受け入れ、前向きに活きていく、

「差別」を克服する、というテーマ性を感じます。それに対し、

順当に小説から入った人は、鑑識のスペシャリスト、というイメージから

天才肌の白人をイメージするようです。純粋に、犯人とライムとの競争、

という視点で読むことができます。

「ウォッチ・メイカー」は推理ゲームの側面が強く、

「魔術師」は差別克服のテーマ性が強いので、

映画から入ってしまった私としては「魔術師」の方がお気に入りです。

長編を読む時間がない方には短編集の「クリスマス・プレゼント」を

お薦めします。文春文庫です。

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論理的と確率

「9マイルは遠すぎる」という有名な短編ミステリがあります。

ちょっと面白いのは「9マイルは遠すぎる」で検索すると521件なのに、

「9マイルでは遠すぎる」は5080件もヒットします。

でも、ハヤカワ文庫から出版されている和訳のタイトルは

「9マイルは遠すぎる」です。日本語の語感としては、

「遠すぎる」という否定的な言葉の前には、単に「は」を使うのではなく、

9マイルも、という強調のために「では」と使う方がしっくり来ます。

ここら辺は日本語ネイティブでないと理解しにくいと思いますが。

さて、この小説は「9マイルは遠すぎる。雨の中ならなおさらだ」という

会話を耳にした探偵がそこから推論を働かせ、証拠無しで、

頭の中の推論のみで、事件の真相にたどり着く、という

「安楽椅子」探偵の典型です。

ただ、森博嗣氏曰く、これを「論理的」というより「妄想的」で、

推理小説では「非行動的」=「論理的」と言っているだけ、と手厳しいです。

確かに、森氏が指摘するように、80%程度の確率で「確からしい」推論を

10回続けると、0.8の10乗で、最終的な結論の確からしさは10%程度です。

しかし、途中の推論はすっ飛ばして、最初のきっかけと最終的な結論を

結びつけて、80%位は正しいのでは、と思ってしまうのが人間だと思います。

だから、「妄想的」かもしれませんが「人間的」な小説としてお薦めです。

先日、紹介したCO2排出量削減の活動も「妄想的」で「人間的」だと思います。

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マイナスの補正予算

川本裕子さん、という政府の諮問会議等で委員を多数勤めている方が、

サブプライム問題に端を発した株安・円高の影響を考えると、

法人税収は予算策定時よりも大きく減じるであろうから、

歳出を削減する「マイナスの補正予算」を組むことを検討すべき、

と提言されていました。この提言は、ガソリン税の廃止が話題になる前に

書かれていますので、現状では、さらに歳入が減る見込みになっています。

企業であれば、売上げが減ることが見込まれていれば、それに合わせて、

経費削減を行っていくのが当然です。「予算を作った以上、歳入は減っても、

歳出はそのまま、粛々と政策を実現する」という発想は、

経営環境の急速の変化に対して方針を変えないことと同じです。

先日、大阪府の橋下知事が、府内の市町村長を招いて、府の歳出予算を

大幅に削減する計画を説明し、理解を求めている映像がニュースで

流れていました。市町村長は口々に、「行政の継続性」を主張し、

「府からの助成金を前提に予算を組んでいるので、急に削減を言われても困る」

と言い続けていました。橋下知事は、最後に涙ながらに理解を求めていましたが、

「涙」に対して、ある市長は、「泣いたらそこで議論は止まってしまう。

泣きたいのはこちらだ」と、さも、涙を流した知事が卑怯であるかのように

話していましたが、私の印象では、知事が涙を流したのは、

歳出予算を金科玉条のように一切変更しようとしない市町村長の姿に

あきれたことが原因で、悔し涙ではないのでは、と思っています。

「無いものは払えない」という当たり前のことすら忘れてしまうのは

いかがなものか、と思います。「坂の上の雲」では、日露戦争時の

日本の大きな悩みとして、資金集めに奔走せざるを得なかったことが

克明に描かれています。橋下知事に反対した首長の皆さんには、

お金がない中での政治がいかに大変か、実感をして欲しいです。

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○○にしかできないこと

日経ビジネスの4月14日号が、日立の特集を行っていました。

ジャパンナッシング、JAPAiN、官製不況など、最近は

日本経済は散々な呼ばれ方がされていますが、

もの作り企業、技術重視の典型とも言える日立製作所の挫折と

再生への一歩を記事としていました。

その中で、ユーロスターの新車両の製造を、その保守をも含めて

日立製作所が請け負ったという記事がありました。昨日の記事でも、

鉄道が見直され始めていることを書きましたが、陸続きのヨーロッパでは、

その傾向が特に強く、しかも、英国は鉄道発祥の国です。

英国とヨーロッパ大陸とを結ぶ、ユーロスターの新車両を日立が作った、

というニュースを、私は日経ビジネスの記事で初めて知りました。

マスコミには、日本企業が海外で成果を出しているニュースをもっと大きく

報道して欲しいものです。スポーツ選手の海外での活躍と同程度の

きめ細かさで、ビジネスパーソンの活躍を伝えるべきです。

さて、日立は「技術至上主義」の会社で、従来は、他社商品に対して、

「その程度の製品なら、俺たちにも作れる」と言って、後発でも

独自技術を盛り込んで、「世界最小」「世界最速」「世界最薄」といった

商品を世に送り出すものの、シェアは落ち込み、赤字が膨らみ、

といった状況であったそうです。しかも、利益の源泉であった

電力・通信関連の設備投資(インフラ)が国内では急激に縮小しています。

そこで、日立が採った戦略は、「日立でもできる」から決別し、

「日立にしかできないこと」として社会インフラ事業にフォーカスし、

国内を飛び出し、世界へ飛び出すというものです。

以前、伊藤忠会長の丹羽氏が入社式で、「ビジネスの世界では、

オンリーワンで、かつ、ナンバーワンでなければいけない。

ナンバーワンでないオンリーワンでは不十分」といった発言をしていました。

「自分にしかできないこと」を追求し、それを、ナンバーワンにしていく努力こそ

大事だと感じます。

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Eco出張

東京-大阪間の出張で、新幹線を使うか飛行機を使うか、

乗り遅れるリスクを嫌う人は前者を、マイル集めに熱心な人は後者を、

というのが一般的な分け方ですが、最近は、

新幹線の方がCO2排出量が少ない、という宣伝文句で新幹線を選ぶ、

という方が増えているようです。

同じ現象は、ロンドン-パリを結ぶユーロスターでも起きています。

HSBC(英国の銀行)は、「世界初のカーボンニュートラル銀行」を

標榜し、社員の出張のキロ数を減らすと共に、できるだけ鉄道を使うように、

との指示を出しています。ちなみに、英国のスーパーへ行くと、

食料品1つ1つに、どの程度の距離を移動してきたかが記載されています。

これも、消費者に対して、できるだけ輸送距離の短いものを選ばせて、

社会全体でCO2排出量を減らそうとする動きです。

科学者の中には、「地球温暖化の原因は二酸化炭素に限られないし、

海流や地熱によっても気候変動は起きる」といった主張をされている方も

いますが、社会を動かす決め手は、「科学的に正しいか否か」ではなく、

「人々から支持を受けるか否か」です。

ヨーロッパでは、「環境重視=CO2排出量削減」が定理のようになっています。

日本も、もの作りの企業が同様の方向へ進んでおり、

そろそろ臨界点を越えて、国民全体が「国民総動員」状態で、

CO2排出量削減を目指して突っ走りそうな気がします。

高齢化・人口の都市への集中化が進むことを考えると、

道路整備よりも、路面電車の整備に予算を使うべきでしょう。

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ソフトパワーとハードパワー

アメリカのイラク戦争の「失敗」、そして、大統領選挙を通じて、

ハードパワーとソフトパワーの使い分け、が大きなテーマになっています。

ソフトパワーの典型は宗教ですが、アメリカはキリスト教ではなく、

ハリウッド映画と民主主義をソフトパワーとして活用することによって

ソ連に勝った、という評価も可能です。

しかし、007の映画を作るだけでは不十分です。現実のスパイ活動や

諜報活動を行っているからこそ、ソフトパワーの効果が出るのです。

ソフトパワーとハードパワーの使い分けが重要です。

GEのイメルトCEOの以下の明言はその使い分けを示唆しています。

「私は1年に7~12回、『自分の指示通りにやれ』と言っている。

しかし、それを18回言ったら優秀な人材は辞めていく。

また3回しか言わなかったら会社は潰れるだろう。」

7~12回、ということは、上役としての業務命令を明示的に出すのは

月に1回で、それを越えても、それに足らなくてもダメ、ということです。

今の企業では、専門知識を持った知識労働者が活躍しているので、

部下への説明、納得を得ていく「共感」のプロセスが大事ですが、

ソフトパワーにばかり頼っていてもダメで、時には実力を行使して、

恐れられる、という場面も必要になってくるわけです。

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二桁のかけ算

4月5日号のダイヤモンドの表紙は、

「教育崩壊からわが子を守れ!」との表題の下、

78×74=4932という筆算を黒板上で描いていました。

もちろん、この筆算は間違っていますが、「発想法」はずれていません。

78×74=(70+8)×(70+4)=4900+70×12+32=4900+840+32=5772

という分解は二桁のかけ算を暗算で行う方法としてよく知られています。

78×74=4932、と書いた小学生でも、このような分解を教えれば

すぐに正しい答えを導くことができるようになります。私が小学生の頃に

流行った算数遊びとして、友達がある3桁の数字を黒板に書いて、

その下に私がまた3桁の数字を書き、さらに、もう一巡、友達と私が

3桁の数字を1つずつ書き、最後に友達が3桁の数字を書いた後、

私が瞬時にその合計数を答える、という遊びがありました。

これもタネを明かしてしまうと簡単なのですが、計算しやすい数字を作る、

という点では、二桁かけ算の分解と通じるものがあります。

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韓国のヒロシマ

先日、NHKの「世界遺産の旅」にて、紹介されていました。

アウシュビッツと原爆ドームの2つは、共に「記憶の遺産」として

世界遺産に登録されています。しかし、登録されるまでの経緯には

大きな違いがありました。アウシュビッツについては反対意見がなかったものの、

原爆ドームについては、アメリカと中国が反対しました。

アメリカは、原爆投下へ至る文脈(=戦争の早期終結が目的)を強調し、

「ヒロシマは普遍的なメッセージではない」と主張し、中国は、

「日本が、アジアの多くの国民に甚大な被害を与えた加害者

であった事実を薄れさせる」といった意見を主張しました。

アメリカの主張するところの「文脈」は、戦後のソ連との対立(冷戦)を

見越して原爆の性能を示した、とも言えるわけで、あまり説得力はありませんが、

中国の意見は真摯に考えるべきです。NHKの番組製作者の意図は、

原爆被害者の中には日本人だけではない、という点を示すことで、

原爆ドームは人類の普遍的記憶に値する建造物である、という

メッセージを示すことでした。当時、日本には多くの韓国人がいました。

そして、広島で、多くの韓国人(肉体労働者)が被爆しました。

強制連行されたのか、自発的(経済的に追いつめられた結果とはいえ)か、

はここでは論点ではありません。

大量破壊兵器の及ぶ範囲に国籍は関係ありません。

そもそも、「国籍」自体が、時代によって変えられてしまうのです。

原爆ドームの世界遺産登録のときに、「日本人」以外の被爆者の存在を

日本国・国民が直視していれば、少なくとも中国の反対意見は出なかったのでは、

と思います。「日本は唯一の被爆国で…」という言い方には気をつけて欲しいです。

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営業と恋愛

今日、社会保険労務士の開業塾の修了式がありました。

独立開業して成功している社労士の先生方が講師となって、

開業ノウハウを対面のゼミ形式で徹底的にたたき込んでいく、

というもので、隔週の土日2日かけて、3か月間の日程でした。

鹿児島や日光からも泊りがけで参加した人がいて、

「合格後」について真剣に悩み、道を切り開こうとしている人の、

熱い気持ちが伝わってきました。

その修了式・懇親会の場で、「士業事務所における営業」について、

恋愛ができる人は営業ができるはず、という話が出ていました。

同じ話を別の人からも聞いたことがあったので、印象に残りました。

曰く、どんな服装を着ていくか、どこに行って、何を食べるか、予算はいくらか、

といったことを考えることができるなら、営業の企画を持っていって、

クライアントへ説明することもできるはずで、問題は、恋愛と同じで、

最初の頃のフレッシュな気持ちを持ち続けることが難しい、という点です。

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「大学」一辺倒の高校教育

連続で「東洋経済4/12号」からですが、橘木俊詔さんが

高校教育についてコラムを書いています。曰く、

普通科教育が過剰に重視されていて、大学入試で問われる

国語・数学・英語・社会・理科といった教科を習う生徒が圧倒的に多く、

これは生徒本人の能力、やる気などの違いを考慮せずに、

「大学に進学させたい」という親の希望(生徒の希望かもしれませんが)

に応えたものだが、高校進学率が95%以上という状況下では、

非現実的といえます。本来であれば、学力の低い高校生は、

工業科・商業科・情報科などの職業教育を行う高校へ進学すべきところ、

実際には、これらの専門高校は生徒数の減少に苦しんでいます。

本当は、高校の次のステップである大学が、職業に役立つ技能の養成にシフトして、

専門高校出身の生徒の受け皿になるべきですが、

「大学」に対する規制や一般通念などが立ちふさがり、

職業訓練校的な大学は恥ずべき存在と見なされています。

ただ、橘木氏は明確に「職業訓練校的な大学」を許容する方向で

述べていますし、現実を踏まえれば、大学も「二極化」せざるを得ない

と思われます。あと必要なのは、「二極化」を正当化するサイエンスです。

橘木氏は、誰にでも等しく能力がある、と決めつけるのではなく、

生まれつきの能力差をが教育にどのような影響を与えるかを

サイエンスとして研究することが教育改革の出発点となることを示唆しています。

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ハイパー・ローカル、専門性

昨日の続きで、「東洋経済4/12号」の河内氏の記事から、です。

河内氏の結論は、日本の新聞も「普通の新聞」になっていく、

というものです。一つの媒体で何百万部も発行していることが

「特異」であって、この状況は、戦時体制がそのまま高度経済成長を迎えた

という特殊要因によるもので、しかも、過度に環境適合した流通網が、

デジタル時代には重荷になっています。河内氏曰く、

毎朝・毎夕、家庭へ配達するために、全国紙の会社は、

1時間に7万部刷れる超高速輪転機を全国に何十セットも据え付け、

1日2回だけ稼働させ、梱包、発送し、全国2万の販売店へ、

数千代のトラックを使って配送し、販売店で待ち受けている

40万人以上の配達員がマンションから山間部まで戸別配達する、

という完璧な流通の仕組みを作り上げています。

以前に進化論の話でも書いたように、環境に過度に適合した「強者」

は環境の変化によって滅びる運命にあります。

全国紙が今後、どのような形へ変わっていくか、河内氏は、

情報産業における元素材たる「コメ」を育てる一次産業、

国際競争力のある高い専門性・取材力・分析力を持ったプロの記者集団

を持ったコンテンツメーカー、といったコンセプトを示しています。

また、海外では、地方紙が、地域密着報道とインターネットサービスを

組み合わせることで、相乗効果を上げて発行部数を戻した例があるそうです。

新聞業界に限った話ではないと思いますが、コンテンツ産業の将来は、

ハイパー・ローカルか、専門性(+国際性)か、という二極分化になっていくでしょう。

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大手全国紙による「面背腹従」

4月12日号の「東洋経済」の特集はお薦めです。

特に、河内孝さん(元毎日新聞・常務)による記事は、

諸外国との比較から論点を導いており、非常に参考になります。

以下の話はその記事からの抜粋データに基づいています。

まず、クイズです。新聞を発行する媒体数(会社数)は、

日本と中国ではどちらが多いでしょうか。答えは、

圧倒的に、中国です。発行部数で中国の方が多いのは当然ですが、

媒体数が中国は962に対し、日本はたったの120です。

中国は、共産党一党独裁で、表現の自由の保障が不完全、

と言われますが、封建的な部分が残っていて、地方では独自の新聞が

多く発行されているのです。ちなみに、イギリスは112、ドイツは368なので、

媒体数だけを見れば日本はそれほど特殊ではないのですが、

日本の特殊性は、媒体数が120しかないのに、新聞の発行部数が多いことです。

読売新聞は、発行部数「公称1000万部」です。世界一です。

ニューヨーク・タイムズですら、100万部そこそこ。

アメリカで一番発行部数が多い「USA TODAY」でも230万部です。

河内氏によれば、日本も戦前(1936年)は発行媒体数が約1400あったが、

総動員体制の下、軍部が言論統制及び用紙の割当てを行った結果、

43年には媒体数が55社まで激減したそうです。河内氏は、

大手全国紙による「面背腹従」、というキーワードを挙げています。

媒体数が多い、ということは競争相手が多い、ということであり、

全国紙を出している新聞社にしてみれば、乱売合戦をなくすことができ、

経営安定化につながるため、軍部の指導に従ったのです。

「面従腹背」は普及していますが、「面背腹従」も今後、使えるフレーズだと思います。

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モノとヒト

昨日の記事では、株式会社が地中海から生まれたと書きましたが、

同じく地中海から生まれたものの1つに、「保険」があります。

掛け捨てで保険料を支払って、損害を被った人が保険金を受取る、という仕組みは

14世紀には成立していたようです。ですから、「ヴェニスの商人」アントニオは、

保険を利用できたはずで、そうしていれば、胸の肉1ポンドを切り取ることを

シャイロックから請求されることもなかったはずで、その意味では、

この作品は損害保険の格好の宣伝であるとも言えます。

このように、保険は最初はモノに対して掛けられました。

しかし、最近話題の後期高齢者医療制度をはじめとする健康保険、ガン保険、

そして、生命保険など、ヒトに対して保険を掛けることが多くなっています。

もともとモノを想定していたものを、金銭的評価が難しいヒトに拡張し、

かつ、国家が関与して大規模なものとなったせいで、問題が複雑になっています。

ヒトが長生きしたいと思うのは当然ですし、自分には際限なくお金を掛けて、

健康保険制度は非常に不安定になりますし、逆に、

「あの人は死んで欲しい」と思うのも人間なので、保険金目的の殺人が起きたりします。

「ヴェニスの商人」も、モノの典型である金の貸借りについて、

ヒトの命をもって解決しようとするシャイロックの卑しさを見せています。

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商法の母-地中海

坂本龍馬は北辰一刀流の免許皆伝であったのに、ある日、

知人が、龍馬が刀を持っていないことに気付き、尋ねたところ、

「ピストルの前では、刀は役立たない」と答えて、ピストルを見せた。

その後、その知人が龍馬に会ったところ、ピストルを持っていなかったので、

尋ねたところ、「これからは世界を知らないといけない」と言って、

万国公法(国際法)を見せた、という逸話があります。

海援隊という貿易会社を設立した龍馬のルーツをたどると、

地中海貿易の中で発達した商法が出てきます。商法は私法の代表格です。

暴風雨による遭難や海賊による盗難のおそれがある中で、

どうやって貿易を回していくか、商人たちが試行錯誤して編み出した慣習法が

商法です。株式会社の仕組みを生んだのも地中海です。

ローマの政治家カトーは、「1人の商人が1隻の船で、自分の危険負担で

貿易するよりも、他の49人と組んで、50隻の船を共同で運営し、

全体の50分の1の持分を持った方が安全である」と述べています。

坂本龍馬が実際に国際法を駆使したかどうかは疑問もあるようですが、

「株式会社」の思想が紀元前からあったことを知っていたとすれば、

「攘夷」と叫ぶことの無意味さを実感したはずです。

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コンプライアンスについて

今日、社内で「コンプライアンス」に関する研修教材の企画会議がありました。

耐震強度の偽装、ミートホープ・赤福をはじめとする食品の不正表示、

二重派遣・偽装請負などなど、多くの企業不祥事が問題になっています。

コンプライアンスに関する研修を希望する企業がゴールとするのは、

「社員にコンプライアンス意識を持たせる」という初的・基礎的な、

いわゆる「リーガルマインドを持たせること」なのですが、

これが簡単そうに見えて実は難しいのだ、という話が今日の企画会議のテーマでした。

桐蔭横浜大学のコンプライアンス研究センター長でも郷原信郎先生も、

同様のことを述べています。すなわち、「コンプライアンス=法令順守」は、

・社会的要請がすべて法令に反映されていること

・司法が経済社会において十分機能していること

という2つの前提があって初めて成立し、実際にはこの2つの前提はあり得ないので、

法令に無目的に従うのではなく、「社会的要請に応えるためのコンプライアンス」を

正面から考え、なぜ法令を守らなければならないのかを根本的に考えること

が出発点であると述べています。「法の精神」を知ることから始めよ、という趣旨です。

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作ったものが残る

ちょっと前になりますが、日経ビジネスの巻頭インタビューで

小川三夫さんという宮大工の方が、法隆寺の解体修理について

「法隆寺を作り上げた飛鳥の建築技術は、その後受け継がれず、

途切れてしまいました。でも約1300年後、昭和の解体修理の時に、

西岡常一という棟梁が、飛鳥の工人はこんな思いで、こんな方法で作ったのか

と読み取ったからこそ復元できたのです。」と述べていました。

法隆寺を解体する過程で、様々なことが分かったようで、例えば、

柱に使う木材は、生えていた場所を勘案して、南の方向には、

もともと日当たりの良い場所に生えていた木を使っているそうです。

一度も日に照らされていない部分を南に置くと、急激に木が弱ってしまう、

という、言われてみれば当たり前の思想ですが、作られたものを、

見る目がある人が見ることによって、設計思想は生き返るのです。

宮大工の人たちは、過去の死んでしまった工人たちと会話をしています。

であるからこそ、「ウソ偽りがないと自分が思えることを精一杯やること」

が彼らの目標になっています。どんな不器用でも、ごまかしをせずに

作っておけば、何百年後の宮大工が「昭和の大工はこう考えていたんだ」

と読み取ってくれるからです。建設会社のCMに「地図に残る仕事をしています」

というキャッチフレーズがありますが、ぜひ、後世の人が修理して保存したい、

と考えるような建造物を作って欲しいものです。

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笑顔の三段活用

接客業では基本テクニックであるようですが、

東武百貨店の特集記事の中で、売り場の問題点を拾い出していく過程で、

「接客の際に笑顔を絶やさないように」という指示1つをとっても、

細かいテクニックがあることを知りました。つまり、

顧客を待っている時、話しかけられた時、商品の購入につながった時、では

笑顔の度合いを変えるべき、とのテクニックです。

それぞれ、笑顔を3分咲き、5分咲き、7分咲き、にしていくイメージです。

この記事を読んで面白いと感じたのは、「満面の笑み=笑顔の10分咲き」は

求められていないのだ、という点です。10分咲きが求められない理由は、

・しょせんは「接客」なので、満面の笑みだとお客さんも引いてしまうから

・心からの笑顔は狙って出せるものではないから

・顔全体での笑顔表現は疲れるから

といった理由が考えられますが、さて、あなたが「仕事を楽しもう」という時の

笑顔は何分咲きでしょうか?

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兵は何のために戦うか

昨日に引き続き、「鬼と人と」から。

信長は、桶狭間の今川義元をはじめとして、

戦国大名のライバルを次々と倒していった、というイメージがあるかもしれません。

しかし、美濃一国を征するまで7年間かかっています。

信長が尾張の兵を率いて、美濃へ攻め込むたびに追い返されていた、ある時、

林秀貞が「足軽どもが何故に命懸けで戦うか、殿は御存知か」

と訊いた挙句、「殿が好きだからでも織田家に忠義だからでもござりませぬ。

戦場で真っ先に逃げ出せば、村に帰ってから隣近所の笑い者になるからで

ござります。」と忠言をしてきました。

その頃、信長は兵農分離を図って、銭で兵を雇っていたので、

自分の土地を守っている美濃の強兵に当たると、戦う前から逃げ腰でした。

尾張の兵は敵の数倍いても負けるし、敵の姿を見るだけで逃げ出し、

川で溺れ死ぬ始末、ということで弱兵で有名でした。

それでも、信長は兵農分離の方針を変えずに、

農作業で美濃の主力が村に帰った時を見計らっては攻め込み、

主力が戻ってくると、また負けて、退却して、という繰り返しをしていました。

当時の常識から考えると、林の忠言は至極、当然であって、

弱兵を集めるための銭を稼ぐ算段をするよりも、農民を徴兵して鍛えるべき、

と考えるのが普通です。しかし、信長は、銭を稼ぐために、関所を廃止し、

楽市・楽座を実行し、そのために、寺社勢力を敵に回し、敵はどんどん増えて、

それでも、銭で兵を大量に集めては、農作業の繁閑に関係なく

攻め込み続け、ついに、美濃と伊勢を落としたのです。

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鬼と人と

堺屋太一さんがPHP文庫で書かれている本です。

織田信長が武田家を滅亡させた、甲斐遠征から

明智光秀に暗殺された、本能寺の変まで、

信長と光秀が交互に独白を繰り返す、という形式の歴史小説です。

1つの出来事が、信長の視点と光秀の視点の双方で語られます。

私がこの本を読んだとき、働き始めの頃は光秀の感覚に共感を覚えたものです。

しかし、何年か働いて、最近読み返してみると、信長の、

一見すると「短気」に見える行動に対して、少し納得してしまう自分がいます。

たとえば、武田家滅亡後の宴席の事件。これは、光秀が発した、

「拙者も年来、骨を折った甲斐がござった。」という言葉に対して、

信長が「この度の合戦で、お前がいつ、どこで、どのように骨を折った、

いうてみい。拙者も年来の骨折りとは何のことだ、いうてみい。」

と激高し、光秀が土下座して詫びたにもかかわらず、信長は怒りがおさまらず、

光秀をどつき倒した、という事件です。

堺屋氏によれば、この時の信長の頭の中にあったのは、

「兵と銭を与えられて戦をするぐらいは骨折りではない。本当の骨折りとは、

新しい方法を考え新しい仕組みを作り、他人に憎まれ蔑まれながらも

銭を集め兵を増やすことぞ。」という、改革者ならではの想いであった、

とされます。この宴席の場で信長が本当にこのような回想をしていたか、

は分かりませんが、信長の独白、という形で小説を書き、さらに、

凡人(勤勉で優秀だが、能力を発揮できるのは既存の仕組みの中)代表の

光秀の視点を絡めることによって、改革者としての信長を鮮明に描き出しています。

社会人になった皆さん、また、すでに社会人として活躍されている皆さんに、

ぜひお薦めする一冊です。

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スペシャリストとプロフェッショナル

今日から社会人のスタートを切った人もいることでしょう。

最近、転職することを前提にしているのか、

「この会社で修行して、どの会社に行っても通用する力、

仕事力・社会人基礎力を身に付けて、自分のやりたいことができる

会社を見つける(起業する)んだ。」といった動機で入社する人が多いそうです。

そのため、手取り足取り教えてくれる大企業を選ぶ人も多いようです。

もともと転職を前提にしているためか、専門的知識を身に付けるよりも、

ジェネラリスト的に色々な仕事を経験することを希望する新入社員が多い、

とも聞きます。しかし、これからの知識社会で求められる人材は、

まずは専門的知識を持って、組織の意思決定・実行に貢献できる、

いわゆる「参謀」的な能力です。言い換えれば、情報を集め、

集めた情報を分析し、解決すべき障害・問題点を発見し、

解決のための選択肢を用意する、という一連のプロセスをこなす能力です。

ジェネラリストかスペシャリストか、という二者択一で言えば、

圧倒的にスペシャリストが必要です。さらに、変化のスピードが速い現代では、

環境が変わっても即座に対応できる「全方位対応のスペシャリスト」が求められます。

例えば、高校野球では活躍していたバッターが、

プロ野球では全く打てなくなってしまうことがありますが、

これは環境の変化に対応できていない、「一方向のスペシャリスト」です。

イチローは、「自分が得意な弾はピッチャーが自信を持って投げた弾である」

とインタビューで答えています。まさに、プロフェッショナルです。

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