発想法

創造性を育む環境3

3番目は、多彩な才能を結びつけるために必要なもので、

「コミュニケーション Communication」です。

サッカーの例えで言えば、選手同士が交わす会話やアイコンタクトです。

Communicationの語源には、ラテン語で「共通したもの」といった意味があり、

commonもその語源から来ています。昨日の記事でも書きましたが、

共通言語ないし目標がないと、本当に伝えたい内容が伝わらない、

という問題が生じます。当然ですが、英語を話す人と話せない人では、

コミュニケーションは困難です。同じ日本人同士でも、年代・経歴が異なれば、

会話をするたびに誤解が生じる結果となる危険性もあります。

誤解を避ける手法の1つとして、「お約束」となるフレーズを決めたり、

逆に、「NGワード」を決めたり、といった方法があります。

宗教の世界や、学術の世界では用語の使い方ルールが比較的厳格に

定まっています。「用語辞典」的なものが作られ、共有されています。

聖書やコーランも、「お約束」と「NG」を決めたもの、と捉えることもできます。

ビジネスの世界で、多彩な人材がコミュニケーションを円滑に行うためには、

「用語辞典」、さらに発展して「聖書」的なものを作っておくことが有効です。

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創造性を育む環境2

2番目は、当たり前な気がしますが「多彩な才能」です。

英語では「Diversity of competence」とされています。

R&Dの世界では、化学畑の人だけでなく、

物理・電気・ソフトウエア・機械など様々なバックグラウンドを持つ

研究者が集まっているかどうか、という話です。

問題は、こういう多彩な人材を結びつける価値観、

一種の「共通言語」ができるのか、という点です。

組織論の世界では、野球型組織とサッカー型組織の比較、という話があります。

野球型は、選手1人1人のポジションが明確に決まっていて、

監督が状況を見ながら事細かに指示を出していきますが、

サッカー型は、選手1人1人の位置に幅が許されていて、

監督は事細かに指示は出さず、選手が自ら判断して動くことが大半です。

その代わり、皆が共有しているゴールが比較的単純です。

多彩な才能が集まってきた場合には、状況の変化に対する対応が

1人1人変わってくるので、サッカー型組織になると思いますが、

問題は、皆が共有できるゴール(目標)を分かりやすく設定できるのか、

という点だと思います。

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創造性を育む環境1

「生涯最高の失敗」(田中耕一)の中で、ノーベル博物館の

館長、リンクヴィスト氏の言葉が紹介されていました。

リンクヴィスト氏は、創造性を発揮するために必要なものとして

「勇気」「挑戦」「不屈の意志」「組み合わせ」「新たな視点」

「遊び心」「偶然」「努力」「瞬間的ひらめき」という9つを挙げています。

ノーベル賞級の発見とまで行かなくても、誰しも、何か良いアイディアを

思いついた時には、この9つのいくつかが当てはまるはずです。

要は、独創性を特殊な能力と考えるのが間違いで、

「自分にはそんな能力はない」と諦めるのではなく、

「人間はもともと独創的な動物である」という自信を常に持ち続ける

ことが大事です。とはいえ、ただ待っているだけでは難しいので、

独創性を育む(インスピレーションを生む)環境について

10回シリーズで書いていきます。これも、リンクヴィスト氏が挙げた10項目です。

まずは「集中(人口密度)」です。単に「集中」と言ってしまうと、

周りの人を遠ざけて一つのことに没頭する、というイメージになりますが、

全く逆です。周りに人がワアワアいて、隣のミーティングの声が聞こえてしまう、

別の課の上司が部下を怒っている声も聞こえる、といった状況です。

狭いオフィスに多様な人材が集まって、大きな声で議論し合いながら、

いくつかの仕事が同時並行的に進んでいる状況を想像するとよいと思います。

私は大学受験や資格試験受験の際、ファミレスで勉強することが多く、

周囲からは「うるさい場所でよく勉強できるな」と言われていましたが、

科目を勉強する、という意味は、本や教師が語っていることを

頭の中で再度繰り返してみて、特に考え方が重要となる数学や法律は、

その科目の考え方をトレースしてみることが大事です。

このような頭の回転では、適度な「雑音」があった方が私には向いていました。

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一流の理論家

超新星からのニュートリノを観測してノーベル物理学賞を受賞した

小柴昌俊先生が、一流の理論家と二流の理論家の違いを以下のように

説明していました。曰く、一流の理論家は、実に謙虚で、

精緻な理論を作って、それで全ての事象を説明し尽くすことができるなんて

考えていない。理論の適用限度を意識しているのが一流。

これに対して、二流は自分のモデルで何でも説明できると思いこんで、

実験して試してみることすらしなくなる。最近は、物理学が発展したせいで、

実験も大がかりになってしまい、費用も国家予算並みにかかる場合もあるので、

二流の理論家が主張する「理論的に分かっていることは実験する必要がない」

という一見すると「正しく」思える意見が通ってしまう危険性が高いのです。

法律の世界も、理論だけで全てが説明できるわけではなく、

裁判という「実験」で理論の正しさを日々検証することが求められます。

問題は、自然科学の場合には、誰が行っても同じ結果になるか、

という「実験」の正確性に対する検証が可能であるのに、法律の場合には、

評価者の主観を排除することは非常に難しく、「実験」の正確性は検証しづらいのに、

その「実験」によって人の一生が左右されてしまうという点です。

とはいえ、裁判官は一流の理論家のように、謙虚であって欲しいものです。

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電子図書館

図書館つながりで書いてみます。

図書館戦争の中でもプロットの1つとして出てきますが、

日本にある図書館は、国会の両議院が管理している国会図書館と、

小学校・中学校・高校が管理している図書館、さらに、大学図書館、

そして、地域が持っている市立・区立の図書館に大きく分かれます。

学校や大学の図書館は、一応、文部科学省の管轄となっているようですが、

当然のことながら、この本を買え、この本は入れるな、という指示はできず、

特に、小学校・中学校では、本来は図書購入費の予算が、

別の用途に使われてしまう、という事態が起きている位で、

裁量・自治が広く認められています。

市立・区立の図書館も、かなり自由な活動をしていて、

例えば、千代田区立図書館はいち早く電子図書館のサービスを始めました。

韓国の会社が、書籍の電子化を行っていて、電子化された書籍を借りると、

2週間だけは自宅のPCでその書籍の閲覧ができ、

2週間経つと自動的に閲覧権限が消滅し、他の人が借りることができます。

延滞料の制裁があるわけではないので、

ついつい期限を過ぎてしまうことがありますが、

この電子図書館のサービスであれば、貸し出し期限は必ず守ることができ、

しかも、予約も可能なので、公平に、効率よく貸し出しサービスを提供できます。

韓国では、地域の図書館はもちろん、学校内の図書館も含めて、

電子図書館のサービスを始めるところが増えているそうです。

リアルで集まる機会が減ってしまうことにはなりますが、

忙しい人にも図書館を効率的に利用してもらうには、最良のサービスだと思います。

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時間軸

GWということで、上野公園に行き、

科学博物館で開催されていた「ダーウィン展」を見てきました。

ダーウィンの唱えた進化論が、キリスト教からの反発を受けながらも、

科学者の間では、かなり短い時間で受け入れられた、という話が

紹介されていました。その理由として、地球の年齢をめぐる研究成果があった

ことは紹介されていませんでした。「種の起源」が発刊されたのは1859年。

この頃になって、地球の年齢は4億年程度と予測されるようになり、

実際の年齢(46億年)よりもずっと短いものの、化石が登場している期間が

6億年程度であることを考えると、それほど外れた予測ではありません。

しかし、その前には、地球の年齢はせいぜい数千年、と考えられていました。

このような短い期間内に、何度も地球上の生命が一掃され、

新しい生物が登場していることを「合理的」に説明するためには、

神による天地創造が必要不可欠だったと言えます。

時間軸をどの程度のスパンで見るか、によって物の見方が一変する好例です。

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日本的な「優越」

衆議院でガソリン税法案の再議決が行われ、5月1日から

ガソリンの値段が元に戻りました。日本国憲法59条が、

衆議院が可決したのに参議院が否決した法案は、3分の2の多数で

再議決できると定めていて、さらに、法律案が参議院に送られてから60日

経過した場合には、参議院で否決されたものとみなす、とされています。

この60日ルールが適用されるのは、56年ぶり2度目でした。

実は、憲法59条は、草案では「衆議院において引続き3回可決して

参議院へ送られた法律案は、最初の議決から2年を経過した場合、

参議院の議決なしに法律として成立する」という内容でした。

しかし、GHQとの折衝の中で、「大統領が拒否権を発動した法律案に対して、

上院・下院それぞれが3分の2以上の多数で大統領の拒否をくつがえす」

という大統領と議会との意見の不一致の解決方法が借用されました。

今回の再議決に対する国民の反応を見ると、「3分の2以上」の多数を

集めればよい、という制度は日本的な感覚から外れているのだと感じます。

過半数で「3回」可決して「2年経過」という、草案段階の「優越」の方が、

「3回もやったんだし、2年も経っているのだから、認めてくれ」という立場で、

日本人には納得がいくのだと思います。

予算案は参議院で否決されても、衆議院の議決だけで成立する、という

極端な「優越」になっていることも問題ですが、政府が再議決の理由として

主張する「歳入欠損は避けなければならない」という理屈に対しては、

「歳出を見直した予算の再議決はしないのか」という反論が可能です。

今の政治状況では、憲法改正の話し合いが進みませんが、ぜひ、

衆議院の優越に関する規定は、「理念」をもって見直して欲しいものです。

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絶対的な価値相対主義

この本は紹介を少しためらってしまうのですが、

大学時代に、ほぼ唯一、立ち見回も含めて全出席して聴いた

教養課程の授業を担当していた宮台真司先生の本です。

朝日文庫の「これが答えだ!」は660円ですが、

108問のQ&Aが収録されていて、コンセプトとしては、

森博嗣氏の「議論の余地しかない」(PHP研究所)をよりストレートにした、

というか、正確には、宮台先生の一問一答を、

小説からの引用という形でオブラードに包んだのが、

「議論の余地しかない」(1,100円)の方なので、

オブラードに包む方が高い、という経済原理に沿った形になっています。

さて、宮台先生の本で紹介されている対立構造の中で、

「枢軸国的尊厳」vs「連合国的尊厳」という対立があります。

第二次世界大戦の背景にある対立ですし、現代でも、

United Nation(国際連合)中心主義に対する反発が強い原因は、

この対立にあると思われます。

曰く、この対立は近代以降の尊厳形式の対立で、

「枢軸国的尊厳」が、崇高な秩序や理想的共同体との合一で得られる自尊心

「連合国的尊厳」が、愚行・自傷をも含めた自由の下での

試行錯誤の積み重ねから得られる自尊心、という整理です。

後者は、人権・民主主義というアメリカが世界に広めようとした考えで、

18世紀のイギリス自由主義哲学が起源です。

宮台先生の整理では、20世紀は後者が前者を席巻していく歴史で、

両者は相容れることはない、としています。

国体との一体化を自らの尊厳と考える立場は前者に属するわけで、

「完全な自己決定」に対して否定的な立場につながります。

極端な話で言えば、安楽死は死の自己決定、売春は性の自己決定、

とも言えるので、これらに対して否定的な感覚の方は「枢軸国」的です。

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「新」大阪、「新」横浜

在来線の駅と新幹線の駅が離れているところがあります。

これは、当時の運輸責任者が、「ある場所だけが非常に利便性が

高くなって、他の場所に比べて人が集中することは不公平」

という発想を持っていたため、基本方針として、

新幹線は、すべて在来線の駅とは別の場所が計画されていたものの、

東京・名古屋・京都の財界人が、その方針に対して猛反対をして、

政治力も使って対抗した結果、新東京駅・新名古屋駅・新京都駅はなくなり、

横浜や大阪はその方針にそのまま乗ってしまい、新横浜・新大阪となりました。

交通はネットワーク外部性が効く典型ですし、普通に考えれば、

多くの在来線が乗り入れている駅にそのまま新幹線が入るべきです。

当時は「ネットワーク外部性」があまり意識されていなかったようですが、

中央と地方の役割分担で目指すべき方向は、

中央における「集中化」と地方における「集約化・集積化」だと思います。

厳密には、集約と集積は目指すべきゴールは異なるようですが、

過程ではほぼ同様の事象が現れるようです。

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手品のタネ

映画「プレステージ」を見ました。まずは作中のセリフから。

「ここに来る人間は真実を知りたいわけじゃない。

タネを知れば、去って、二度と来なくなるだけだ。」

また、森博嗣さんの話になりますが、彼は、手品には興味がないそうです。

行間を読む限り、タネが分かってしまうのが多いことが理由のようです。

森氏曰く、「ただ、どうして観客が気付かないのだろう、という観点から

眺めると、その手法はミステリにつながる。」「単純な数学の問題もこれに近い」

「簡単な答なのに気付かないものが良い。そういった問題において、

どうして大多数の人は気付かなかったのだろうか、を考えることによって、

答に行き着く思考を妨害したメカニズムとは何か。それを抽出することが

できれば、ミステリが1作書けるだろう。」と、長い引用になりましたが、

私が皆さんに伝えたいのは、「オブジェクトではなく、メソッドを尊重する理系の思考」

という一節です。「答」ではなく「プロセス」、

ここでは「答にたどり着けないプロセス」が問題になっています。

その意味では、手品のタネは、物理的なタネと、もう1つ、

心理的なトリックが組み合わさって初めて成立するものです。

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Eco出張

東京-大阪間の出張で、新幹線を使うか飛行機を使うか、

乗り遅れるリスクを嫌う人は前者を、マイル集めに熱心な人は後者を、

というのが一般的な分け方ですが、最近は、

新幹線の方がCO2排出量が少ない、という宣伝文句で新幹線を選ぶ、

という方が増えているようです。

同じ現象は、ロンドン-パリを結ぶユーロスターでも起きています。

HSBC(英国の銀行)は、「世界初のカーボンニュートラル銀行」を

標榜し、社員の出張のキロ数を減らすと共に、できるだけ鉄道を使うように、

との指示を出しています。ちなみに、英国のスーパーへ行くと、

食料品1つ1つに、どの程度の距離を移動してきたかが記載されています。

これも、消費者に対して、できるだけ輸送距離の短いものを選ばせて、

社会全体でCO2排出量を減らそうとする動きです。

科学者の中には、「地球温暖化の原因は二酸化炭素に限られないし、

海流や地熱によっても気候変動は起きる」といった主張をされている方も

いますが、社会を動かす決め手は、「科学的に正しいか否か」ではなく、

「人々から支持を受けるか否か」です。

ヨーロッパでは、「環境重視=CO2排出量削減」が定理のようになっています。

日本も、もの作りの企業が同様の方向へ進んでおり、

そろそろ臨界点を越えて、国民全体が「国民総動員」状態で、

CO2排出量削減を目指して突っ走りそうな気がします。

高齢化・人口の都市への集中化が進むことを考えると、

道路整備よりも、路面電車の整備に予算を使うべきでしょう。

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二桁のかけ算

4月5日号のダイヤモンドの表紙は、

「教育崩壊からわが子を守れ!」との表題の下、

78×74=4932という筆算を黒板上で描いていました。

もちろん、この筆算は間違っていますが、「発想法」はずれていません。

78×74=(70+8)×(70+4)=4900+70×12+32=4900+840+32=5772

という分解は二桁のかけ算を暗算で行う方法としてよく知られています。

78×74=4932、と書いた小学生でも、このような分解を教えれば

すぐに正しい答えを導くことができるようになります。私が小学生の頃に

流行った算数遊びとして、友達がある3桁の数字を黒板に書いて、

その下に私がまた3桁の数字を書き、さらに、もう一巡、友達と私が

3桁の数字を1つずつ書き、最後に友達が3桁の数字を書いた後、

私が瞬時にその合計数を答える、という遊びがありました。

これもタネを明かしてしまうと簡単なのですが、計算しやすい数字を作る、

という点では、二桁かけ算の分解と通じるものがあります。

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ハイパー・ローカル、専門性

昨日の続きで、「東洋経済4/12号」の河内氏の記事から、です。

河内氏の結論は、日本の新聞も「普通の新聞」になっていく、

というものです。一つの媒体で何百万部も発行していることが

「特異」であって、この状況は、戦時体制がそのまま高度経済成長を迎えた

という特殊要因によるもので、しかも、過度に環境適合した流通網が、

デジタル時代には重荷になっています。河内氏曰く、

毎朝・毎夕、家庭へ配達するために、全国紙の会社は、

1時間に7万部刷れる超高速輪転機を全国に何十セットも据え付け、

1日2回だけ稼働させ、梱包、発送し、全国2万の販売店へ、

数千代のトラックを使って配送し、販売店で待ち受けている

40万人以上の配達員がマンションから山間部まで戸別配達する、

という完璧な流通の仕組みを作り上げています。

以前に進化論の話でも書いたように、環境に過度に適合した「強者」

は環境の変化によって滅びる運命にあります。

全国紙が今後、どのような形へ変わっていくか、河内氏は、

情報産業における元素材たる「コメ」を育てる一次産業、

国際競争力のある高い専門性・取材力・分析力を持ったプロの記者集団

を持ったコンテンツメーカー、といったコンセプトを示しています。

また、海外では、地方紙が、地域密着報道とインターネットサービスを

組み合わせることで、相乗効果を上げて発行部数を戻した例があるそうです。

新聞業界に限った話ではないと思いますが、コンテンツ産業の将来は、

ハイパー・ローカルか、専門性(+国際性)か、という二極分化になっていくでしょう。

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大手全国紙による「面背腹従」

4月12日号の「東洋経済」の特集はお薦めです。

特に、河内孝さん(元毎日新聞・常務)による記事は、

諸外国との比較から論点を導いており、非常に参考になります。

以下の話はその記事からの抜粋データに基づいています。

まず、クイズです。新聞を発行する媒体数(会社数)は、

日本と中国ではどちらが多いでしょうか。答えは、

圧倒的に、中国です。発行部数で中国の方が多いのは当然ですが、

媒体数が中国は962に対し、日本はたったの120です。

中国は、共産党一党独裁で、表現の自由の保障が不完全、

と言われますが、封建的な部分が残っていて、地方では独自の新聞が

多く発行されているのです。ちなみに、イギリスは112、ドイツは368なので、

媒体数だけを見れば日本はそれほど特殊ではないのですが、

日本の特殊性は、媒体数が120しかないのに、新聞の発行部数が多いことです。

読売新聞は、発行部数「公称1000万部」です。世界一です。

ニューヨーク・タイムズですら、100万部そこそこ。

アメリカで一番発行部数が多い「USA TODAY」でも230万部です。

河内氏によれば、日本も戦前(1936年)は発行媒体数が約1400あったが、

総動員体制の下、軍部が言論統制及び用紙の割当てを行った結果、

43年には媒体数が55社まで激減したそうです。河内氏は、

大手全国紙による「面背腹従」、というキーワードを挙げています。

媒体数が多い、ということは競争相手が多い、ということであり、

全国紙を出している新聞社にしてみれば、乱売合戦をなくすことができ、

経営安定化につながるため、軍部の指導に従ったのです。

「面従腹背」は普及していますが、「面背腹従」も今後、使えるフレーズだと思います。

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モノとヒト

昨日の記事では、株式会社が地中海から生まれたと書きましたが、

同じく地中海から生まれたものの1つに、「保険」があります。

掛け捨てで保険料を支払って、損害を被った人が保険金を受取る、という仕組みは

14世紀には成立していたようです。ですから、「ヴェニスの商人」アントニオは、

保険を利用できたはずで、そうしていれば、胸の肉1ポンドを切り取ることを

シャイロックから請求されることもなかったはずで、その意味では、

この作品は損害保険の格好の宣伝であるとも言えます。

このように、保険は最初はモノに対して掛けられました。

しかし、最近話題の後期高齢者医療制度をはじめとする健康保険、ガン保険、

そして、生命保険など、ヒトに対して保険を掛けることが多くなっています。

もともとモノを想定していたものを、金銭的評価が難しいヒトに拡張し、

かつ、国家が関与して大規模なものとなったせいで、問題が複雑になっています。

ヒトが長生きしたいと思うのは当然ですし、自分には際限なくお金を掛けて、

健康保険制度は非常に不安定になりますし、逆に、

「あの人は死んで欲しい」と思うのも人間なので、保険金目的の殺人が起きたりします。

「ヴェニスの商人」も、モノの典型である金の貸借りについて、

ヒトの命をもって解決しようとするシャイロックの卑しさを見せています。

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商法の母-地中海

坂本龍馬は北辰一刀流の免許皆伝であったのに、ある日、

知人が、龍馬が刀を持っていないことに気付き、尋ねたところ、

「ピストルの前では、刀は役立たない」と答えて、ピストルを見せた。

その後、その知人が龍馬に会ったところ、ピストルを持っていなかったので、

尋ねたところ、「これからは世界を知らないといけない」と言って、

万国公法(国際法)を見せた、という逸話があります。

海援隊という貿易会社を設立した龍馬のルーツをたどると、

地中海貿易の中で発達した商法が出てきます。商法は私法の代表格です。

暴風雨による遭難や海賊による盗難のおそれがある中で、

どうやって貿易を回していくか、商人たちが試行錯誤して編み出した慣習法が

商法です。株式会社の仕組みを生んだのも地中海です。

ローマの政治家カトーは、「1人の商人が1隻の船で、自分の危険負担で

貿易するよりも、他の49人と組んで、50隻の船を共同で運営し、

全体の50分の1の持分を持った方が安全である」と述べています。

坂本龍馬が実際に国際法を駆使したかどうかは疑問もあるようですが、

「株式会社」の思想が紀元前からあったことを知っていたとすれば、

「攘夷」と叫ぶことの無意味さを実感したはずです。

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裏から考える

昨日の記事では、「書かれていないこと」を考える、という話を書きました。

ミステリーを読む際の常道として、ある現象を観察するときは、

「本来あるべきものがない」「偶然起きたことがもし起きていなかったら」

と考えるべき、というルールがあります。例えば、ビジネスマンのスーツのポケットに、

ライター、たばこ、PDA、手帳(メモ欄に「トイレ」と書いてある)があった、

という情報から考えるべきことは、「本来あるべき携帯電話がない」ということであり、

そこからある仮説が導かれ、「トイレ」というメモ書きはその仮説を支持します。

さて、「裏から考える」典型例は、算数の図形問題です。特に、角度問題は、

発想を柔らかくする訓練として最適です。高校入試でも出されるようですが、

実は中学入試の方が難しかったりします。変な話ですが、入門編としては

高校入試の教材からスタートするべきです。

たとえば、「外角定理」というものがあります。言葉で説明すると、

三角形の2つの角の角度を足すと、残り1つの角の辺を

三角形の外へ伸ばした、外側の角度になる、といった定理です。

外角定理を使うと、の5つの頂点の角度の総和を簡単に導くこと

ができます(補助線を引きます)。星形がゆがんでいても同じです。

外角定理、はまさに「外側」を考えているわけで、裏から考える発想法です。

他にも、平行線や二等辺三角形を使った角度の一致、

円周角と中心角の関係などなど、図を見ているだけでも頭が刺激されます。

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反対意見と法律

人から聞いた話なので、本当かどうか分かりませんが、

イスラエルでは、提出された法案について国会内で誰も反対者がいないと、

その法案は自動的に廃案になる、とのことです。

法律を少しでも勉強した人であれば、非常に納得のいく話です。

「法は、利害が対立しているところを調整する」からです。

例えて言えば、法律は信号機です。道が交差していて、かつ、

放っておくと自動車が衝突してしまう程、交通量が多い場所だからこそ、

信号機は置かれるのであって、反対意見がない法案、というのは

一本道の途中にいきなり信号機を立てるようなものです。

誰しもが自然と守る、当たり前のことは法律・ルールにする必要がない、

という発想は日本史を考える上でも大事です。

井沢元彦さんは、歴史学者がよく陥るミスである「史料絶対主義」の弱点として、

常識・当然のことは史料には書かれていない、という点を指摘しています。

たとえば、井沢氏が例に出す「中日ドラゴンズの理論」は好例です。

ドラゴンズ50年史という史料で、「ドラゴンズ」という名前の由来について、

「中部日本新聞社社長杉山虎之助の干支が『辰年』であるところから、

それにちなんでニックネームが『ドラゴンズ』と決まった」と書かれています。

我々はこれを読んでも、あまり違和感は感じませんが、

それは、野球チームのニックネームには、強い動物の名前を付けることが多い、

という「常識」があるからです。もし、この「常識」がないと、

社長の干支がネズミなら「マウス」で、ウサギなら「ラビット」と付けたはず、

といった変な話になってしまいます。史料絶対主義は、

「史料に書かれることの少ない常識」を見逃してしまうせいで、

因果を極度に単純化してしまう、という問題点があるのです。

物事には色々な原因があるはずなのに、複合的な要因が分からなくなってしまいます。

どんな資料でも、「書かれていないこと」を考える癖が大事です。

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職業欄と「所属」

よくアンケートで「職業欄」がありますが、選択式で

農家とか大工とか商人とか、は見ないものです。

多いのは、公務員、会社員、教員、医師、弁護士、とかです。

本来なら、会社員の中で、営業職か、財務か、開発か、人事か、

といった「職種」が職業であるべきです。しかし、実際には、

会社員か公務員か、という「所属」だけが問題とされています。

働く人の多くが会社や役所などの組織の一員となっている現代では、

組織内での人事異動もあり得るし、そもそも転職も多いので、

職種を訊く意味が乏しい、ということでしょう。

ただ、「所属」しているはずの会社とは一体何か、ということになると

よく分からない、という方がほとんどだと思います。

一時、村上ファンドが栄えていた頃、「会社は誰のものか」という議論が

ありましたが、答えは簡単には出ません。簡単に出ない理由は、

組織、特に会社が本来的に矛盾を内に抱えた存在であるからです。

なぜ組織が必要なのか。シンプルな回答は、分業をするため、です。

以前、「およげ!たいやきくん」について書いたときに、

「社会」の意味を述べましたが、多くの人が集まって分業することで、

少ない労働時間でより大きい成果を得ることができます。

「分業」を行う最低条件は、仕事を定型的かつ継続的に集めることです。

計画を立てて指示を出す、というマネジメント(管理)は、

分業を「効率よく」行うためには必要ですが、プラスαの要件です。

ここからが矛盾の始まりです。

定型的・継続的に仕事をしている内に、市場環境が変わってしまいます。

市場の変化に対応しなければ、会社は潰れてしまいます。

しかし、定型的・継続的な仕事にとって最適化された組織である以上、

変化に応じた新商品を量産する方向への転換はなかなか困難です。

天才的な技術者による発明や発見で「開発」はできたとしても、

それを大量生産し、流通させ、販売して、お金を稼ぐためには「分業」が必要です。

定型的・継続的でないと組織を作る意味がないのに、

一定期間やっていると、そのビジネスは陳腐化してしまい、

従前の分業体制を根本から変えざるを得ない状況に追い込まれるのです。

時代の変化によって業態を変えたり、社内で人事異動があったり、

会社が早期退職を募集して社員の入れ替えを推進したりする理由は

ここにあります。郵便局員が職業欄で、公務員とするか、会社員とするか、

迷ってしまった、という話からヒントを得て書いてみました。

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かたはらいたし

日常用語では使わないと思いますが、

漢字としては「片腹痛し」と書くようで、

相手が話していることが、身の程知らずで笑止千万、

といった意味です。

ただ、もともとは「傍ら(かたわら)痛し」という漢字で、

相手の様子を傍で見ていて可哀想だ、というところから「気の毒」

逆に、自分が傍らの相手から見られるのが苦痛、というところから「恥ずかしい」

の2つの意味だったそうです。

一昨日、語源の話を書きましたが、漢字の誤用から意味が変わっていく、

というパターンは欧米ではない語源だと思います。

あと、昔の日本人は、「自分がどう見るか」を考えると同時に

「相手から自分がどう見られるか」を考える、

という客観性を持ち合わせていたことにも少し感動です。

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語源

恥ずかしながら最近知りましたが、「ピアノ」の正式名は

「ピアノフォルテ」ないし「フォルテピアノ」と呼ぶようで、

強い音も弱い音も自由に出せることから、演奏記号の

フォルテ(力強く)と、ピアノ(弱く)を組み合わせた名称が付けられた、

とのことです。

もう1つ。「シーソー」は何となく日本語のようにも思えますが、

本当は「Seesaw」。語源について、シーソーに乗っていると、

遠くの風景が「見える」、「見えた」という状態を繰り返すから、

というseeの過去形を覚えるためには絶好の説もあるのですが、

実際には、大きな丸太を2人でのこぎりを使って切っていく、

木挽き(こびき)の仕事歌から来ているとする説が通説です。

sawは「のこぎり」の意味、

seeには「見る」から派生して「反復する」という意味もあり、

仕事歌の冒頭が「see, saw」となっていたところ、

2人の木挽きの動きがちょうど、シーソーに乗っている2人と似ている、

ということが本当の語源のようです。

ピアノとシーソー、2つの語源を見てきましたが、

語源を知ろうとすると、多くの場合、1つの言葉がいくつかの部品に分かれ、

部品の意味が分かると、部品の組み合わせで別の言葉が生まれる、

という言葉の広がりが見えてきます。

特に、日本人は漢字を組み合わせて言葉を作っていくことになれているので、

語源を知ると、英単語の暗記が一気に進みます。

「uni」はラテン語の「1つ」という意味の言葉から来ていて、

uniqueは「独特の」、unifyは「統一する」、という意味があります。

また、universeは、「verse」がラテン語の「廻る」という意味の言葉から来ていて、

1つの軸を中心として廻るもの→万物→世界→宇宙、といった連想で

意味が広がっています。

私が中学時代、英単語を覚えたときには、語源を厚めに説明している辞書を

使いましたが、今はホームページで語源を説明しているページが複数あります。

例えば、「英単語を語源で覚えよう」http://www.road52.com/ はお薦めです。

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「は」と「が」

職業柄、文章を書いたり、読んだりすることが多く、

文章を読むと、それを書いた人の性格が何となく分かります。

私が注目するのは、句読点の打ち方、主語を意識的に置いているか、

そして、助詞の使い方、です。大野晋さんが『日本語練習帳』

で書かれていますが、「は」と「が」の用法の違いは重要です。

たとえば、「今日の昼飯、何にしよう?」と訊かれたとき、

「私はカレー」は意味が通りますが、「私がカレー」はちょっと変です。

逆に、病院とかで、「佐藤さん、いらっしゃいますか?」との呼びかけに、

「私が、佐藤です」と答える方が自然です。

「私は佐藤です」だと、単なる自己紹介になってしまいます。

つまり、「は」はその後に続く語句に重点があり、

前に付く言葉には特段の意味がない場合に使われます。

それに対し、「が」は前に付く言葉に重点があります。

「私が…」という文章は、「他の誰でもなく、まさに私が」というニュアンスなのです。

英語ではtheとa、さらに複数形の使い分けがNativeでも難しいそうですが、

「は」と「が」の違いも意識してみると、面白いものです。

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明治33年=1900年

最近、元号を使う機会が減っていて、明治や大正が西暦で何年なのか、

分からなくなってしまいますが、明治33年=1900年、というのは

比較的覚えやすいと思います。

もう何十年かすると、昭和20年=1945年、とかを基準にしないと

昭和と西暦との対応ができない世代が出てくることでしょう。

今でもお役所への提出書類はすべて元号で書くことになっていますが、

社内公用語を英語にする企業もある位ですから、元号が使われる機会は

どんどん減ってしまうことでしょう。

さて、「昔は多くの人が知っていたが、今は使われなくなったもの」として、

私が中学で習ったのは「変体仮名」です。

現在は、「あ」=「安」の漢字の形を崩したもの、

「い」=「以」の漢字の形を崩したもの、というように決められています。

しかし、江戸時代には、「い」と読むひらがなは複数ありました。

井・伊・意など「い」で変換して出てくる漢字の多くが、

それらに対応した崩し文字である「い」を持っていました。

しかし、これでは、ひらがなを覚えるのが大変だから、という理由で、

明治政府が統一したのが、今の平仮名です。

統一ルールから外れたものは、変体仮名と呼ばれています。

私が通っていた中学では、「雨月物語」などの江戸時代の御伽草子を

原文で読まされます。この過程で、変体仮名を学び、そこから逆算して、

漢字を学ぶ、といった教育を受けていました。

崩し文字から元の文字へ戻る、というのはまさに逆転の発想だと思います。

ちなみに、明治33年は、明治政府が平仮名への統一を行った年です。

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フレームワーク

東洋経済の3月8日号で、「地頭力」はこう鍛える、という

特集がされています。おそらく、ビル・ゲイツの面接試験、

という本がブームの発端であったと思いますが、

東大→キャリア官僚・弁護士、大学院→助手・講師といったルートの中では、

昔から「結局、地頭が良くないとね」と言われていた気がします。

最近は、国Ⅰやドクターよりも外資系企業が人気になったから、

その面接対策として「地頭」に注目されているのでしょう。

「地頭力」の例としては、日本全国にある電柱の本数は何本か、

という問題があります。この場合、全国を市街地と郊外に分け、

それぞれの単位面積当たりの電柱本数を予測し、

掛け合わせます。日本の総面積は約30万平方キロメートル、

市街地比率は0.2、郊外比率は0.8、

市街地の1平方キロメートル当たりの本数は400本、

郊外の1平方キロメートル当たりの本数は25本、ということで、

(30万×0.2×400)+(30万×0.8×25)=3000万本。

実際には約3300万本で、少ない情報から結論を想定する好例として

紹介されています。東洋経済では紹介されていませんでしたが、

1平方キロメートル当たりの本数の推定方法も大事だと思います。

市街地では50mごとに1本くらい電柱があるので、20×20=400本、

郊外では200mごとに1本くらい電柱があるので、5×5=25本、

という推定方法です。これは、理屈があるので覚えられます。

私が大事だと思うのは、日本の総面積と市街地・郊外比率の2つは

理屈抜きで丸暗記しなければならない、という点です。

日本全国を区分するときは、

東日本・西日本、47都道府県、という分け方ではなく、

市街地・郊外、という、まさに地域格差と呼ばれる区分が大事、

という事実こそ「フレームワーク」の好例だと思います。

応用問題で、全国の回転寿司屋で1年間に消費されるご飯の総量、

という問題もありますので、ぜひ、考えてみてください。

さて、導入部が長くなってしまいました。結論へ行きます。

地頭力の基礎は、要素に分解することであり、そして、

分解を的確に行うためには「フレームワーク」が必要です。

フレームワークは、全くのゼロから考えるものではなく、

多くの情報を取り扱う中で産まれてくるものです。

その意味で、読書・会話・検索からフレームワークが作られ、

フレームワークあってこそ検索が活きる、と言えます。

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笑点とカンガルー

これを書くと、世代が分かってしまうかもしれませんが、

今日読んだ新聞記事で、「笑点」の名前の由来を

初めて知りました。笑点は1966年に始まったのですが、

同年1月にTVドラマとして始まった「氷点」に対抗してつけた、

という由来にはかなり驚きました。

旭川で三浦綾子記念文学館を訪れたときに、

「氷点」が、普通の主婦が、朝日新聞の募集した

1000万円の懸賞小説に応募して書いたデビュー作であった

ということを知ったときにも驚きましたが、

氷点が人間の「原罪」を扱ったものであることを考えると、

あまりのギャップに、それこそ「座布団1枚」、という感じです。

さて、名前の由来、ということで思い出すのが、

「カンガルー」の名前の由来が俗説ばかりが信じられていて

本当の由来はあまり知られていない、という話です。

キャプテン・クックがオーストラリアを探検した際、

アボリジニの原住民に名前を尋ねたところ、

原住民の人はI don't knowという意味で「カンガルー」

と答えた、という話を英語の教科書で読んだことがある人も

いると思いますが、これは全くの嘘、だそうです。

本当は、「跳ぶもの」を意味する「gangurru」が由来だそうです。

私も高校生の頃までは、俗説の方を信じていました。

大学に入って、別の本で本当の方の話を知りました。

それ以来、俗説を信じてしまったのは、

原住民はバカで西欧人は優秀、という先入観があるせいだ、

と思い、自分への戒めとしています。

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外部メモリーと検索

携帯電話の電話帳を開くたび、思ってしまうこと。

昔の人はどうやって電話番号を管理していたのだろう?

もちろん、手帳に書くなり、名刺ホルダーに入れるなり

していたのでしょう。

私の場合、大学に入った頃にPHSが普及していって

友人の電話番号は携帯のメモリーに入っているものが

ほとんどです。仕事関係も同様です。

携帯を壊してしまって、二度と連絡先が分からなくなる

という話がありますが、外部メモリーに依存する恐さです。

外部メモリーを使うことで、人が扱う情報の量は格段に

増えました。問題は、ごちゃ混ぜになった情報から、

いかにして自分が必要とする情報を得るか、です。

ここで「検索」が問題となります。

電話番号であれば、名前の50音順でインデックスを

つけることが一般的でしょう。ただ、村によっては、

ほとんど全員、佐藤さん、という場所もあるでしょうから、

その場合はグループ機能が必要になります。

あと、韓国とかロシア・東欧は名字の種類が少ないので、

最初からグループで電話帳を作っているかもしれません。

携帯の電話帳は名前とグループの2つで簡単に整理できますが、

PC内のデータともなると、文書名の付け方を工夫しないと、

あとで検索する時に大変です。

特に、他人が作ったデータは、文書名の付け方がバラバラで、

全文検索しないと必要なデータが見つからない、という事態もあります。

我が社では、制作物について文書名の付け方を統一化する

ルールを定めています。とはいえ、名前の付け方には個性が出ます。

会社で働いている人は、同僚や部下のPC内データがどのような名称、

フォルダ構成で整理されているかを見せてもらうと、新しい発見・ひらめき

が産まれるかもしれません。

統一感を求め過ぎるとISBNやISSNのように無味乾燥になってしまいます。

デジタルの分野でも適度に自由度を残しておく余裕が大事だと感じます。

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英語の勉強法

脳科学を真面目に研究している方からは

笑われるかもしれませんが、私は英語

を学習する際、何度も繰り返して、脳内の

ニューロンに記憶を刷り込んでいきます。

反復することで、ニューロンに一定の電気信号が

通りやすくなって、記憶になる、という発想です。

「どんどん忘れる」「覚えよう、というより忘れよう」

という発想です。

たとえば、1500もの英単語を覚える場合、

1日5つしか覚えなかったら

全部覚えるまでに1年かかります。

1年経ったところで、最初に「覚えた」はずの

単語はすっかり忘れているでしょう。

そうでなく、1分に5つ覚え、瞬間的に忘れて、

次の1分でまた別の5つを覚えるのです。

こうすれば、300分=5時間で1500もの英単語を

「忘れる」ことができます。

毎日、忘れ続ければ、頭の中に、1500の英単語の

記憶ルートができるはずです。

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