生き方

獄窓記

最近、続編が出版されたようですが、

衆議院議員時代に、秘書の名義貸し、給与の詐取の罪で

実刑判決を受けて1年2ヵ月もの間、刑務所に入った

山本穣司氏が、逮捕から裁判、懲役の日々をつづったものです。

政治家から受刑者へ、という転機について、山本氏は、

「たった一度の人生、刑務所生活を味わってみるのも悪くはない」

そんな経験欲みたいなものが芽生えてきてるんです。

裁判で無為に時間を費やすよりも、未知の世界を体験しながら時間を使う。

そのほうが、私の人生の中では、よっぽど有意義だとも思っているんです。

と説明していますが。ただ、決心するためには様々な想いがあったはずです。

特に、裁判を続ければ、マスコミからもずっと取り上げられ、

家族に迷惑をかける、という考えがあったこと思います。

政治家に限らず、実刑と執行猶予の境界線の事案では、

第一審で実刑判決を受けても、控訴して執行猶予判決を得ようとすることが

一般的です。しかも、わざと保釈を受けずに拘置所で過ごして、

裁判中の身柄拘束期間を懲役刑の期間内に算入させることもできます。

そのため、控訴審で実刑判決を受けても、刑務所には1、2ヶ月しか入らない、

という「裏技」もあります。山本氏がこの手段を採らなかった理由が、

経験欲だけとは思えないですが、マスコミ報道を理由として書くことは

不適当だと判断したのでしょう。

辻本清美代議士の秘書給与詐取事件をめぐって、辻本氏が

山本氏の事件について名誉毀損に当たる発言をした結果、

山本氏がその訂正と謝罪を求めた顛末が第4章で取り上げられていますが、

辻本氏の発言を扱った際のマスコミ報道と、

訂正・謝罪を扱った際のマスコミ報道との違いを詳しく書いているのは、

刑務所へ入ることを決心したもう1つの理由を伝えているかのように読みました。

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一日不作一日不食

禅の言葉で、要は、「やるべきことをしない時は食べてはいけない」

といった意味です。ただ、これを「働かざる者、食うべからず」と略してしまうと、

かなり意味が変わってきます。働く時とそうでない時の区別を無視しています。

いつも張っている弦は、肝心の時に使い物になりません。

働く日があってもよいし、働かない日があってもよいのです。

そういう生き方ができなくなっているのは窮屈ですし、何より、「貧乏、暇なし」

になってしまいます。この言葉も誤解されていることが多いですが、

本当の意味は、「暇なし」で、落ち着いて未来のことを考えないから、

貧乏になってしまう、という「暇なし、貧乏」という因果が正しい理解だと思います。

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龍と雲

今日は、伊藤肇氏の「人間的魅力の研究」から、です。

この本は、奥付を見ると「昭和五十五年」発刊となっていて、

しかも、著者の経歴に「旧満州国立建国大学七期生」とあり、

「時代」を感じます。いわゆる「帝王学」系の本です。

その中で、石坂泰三氏の言葉として、

「龍の絵には常に雲が描き添えられている。それは雲を描かずして

龍の躍動をうきぼりにすることはできないからだ。」という話が

紹介されていました。雲は龍におけるベース(本拠)であり、

これを離れきるのではなく、雲間から、ほんのちょっぴり、

角を見せ、顎をちらつかせ、胴体の片鱗をあらわすにとどめるべき、

との韜晦術を述べたものです。

少しニュアンスは違いますが、相田みつを氏の言葉で、

「くさびだから一番大事なところへうつ

くさびだから見えないようにうつ」という言葉を気に入っています。

自分が本当に自信を持っているものがあれば、それをベースとして、

着実に成果を出していけばよいのだと自らに言い聞かせています。

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国民総幸福

ブータンで先日(24日)、総選挙が行われました。

ブータンは王政であったのですが、ワンチュク元国王が10年以上も前から、

世襲の国王1人に任せるべきではない、と自ら主張して、

立憲君主制への移行を準備して、今回、二大政党による総選挙となりました。

ただ、国民は「前国王が望むなら」という姿勢がほとんどで、

政党の政策は、いずれの党も国王の政策の承継であって、

互いを批判せずに、賞賛し合う、という珍しい選挙戦を繰り広げていたそうです。

このワンチュク元国王は、1972年に16歳の若さで即位し、

その4年後、国際会議に出席した際に、「GNP(国民総生産)よりも、

Happiness、すなわち、国民総幸福(GNH)が大事である」と演説したことで有名です。

当初はスローガン的なものでしたが、現在では、国立の研究センターで

GNHの数値化が試みられている、とのことです。

Happinessは、心の持ちようであり、「目に見えないもの」です。

私の好きな言葉に、「見たものしか信じない、なんてまったく逆だ。

見たものにも嘘はあるし、見えないものにも真実はある。」という言葉があります。

学生に法律を教えるとき、「権利」「義務」という概念を納得してもらうことが

なかなか難しいのですが、私は以下のように説明します。

「権利」や「義務」は目に見えないもので、皆さんの心の中にあります。

「こうしたい」「ああしたい」という気持ちだと思ってください。

例えば、結婚をした男女は、何か目に見える変化があるわけではないのです。

でも、きっと、心の中では、何か変化が起きていて、それを「権利」「義務」と

呼ぶことができるのです。「権利なきところ、幸福もなし」と言えます。

GNHの概念を唱えた国王が、国民の選挙権を保障した、というエピソードは

まさに、この考え方を実証している、と言えるでしょう。

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国を支えて国を頼らず

3月22日号の「東洋経済」にて、シャープの社長である辻晴雄氏による

連載記事があります。1978年に同氏がテレビ事業部に異動したときの

経験が書いてありました。異動の内示を受けたとき、「これは大変」と感じたそうです。

その前年、日米両政府がテレビ輸出を4割削減することを合意していたせいです。

当時のテレビ輸出のほとんどはアメリカ向けであったので、この規制は

日本メーカーにとって死活問題であったが、何とか乗り切った、という話です。

アメリカへ輸出できない以上、国内販売を増やすしかないわけで、

辻氏は、工場へ入った直後、「試作品を秋葉原へ持ち込んで、

どうやったら売れるかを店員と相談してみろ」と指示したのですが、

工場現場の社員の多くは、「新製品の情報が外に漏れてしまう」とか、

「店員はそんなに目利きではない」とか反対をしたそうです。

とはいえ、輸出はできない以上、今までのやり方を続けることは不可能です。

とにかくやってみよう、と説得し、試作品を秋葉原へ持ち込ませて、

工場の技術者と店員が「どんな商品が売れるか」を議論する中で、

着脱式のリモコン、という新発想が生まれ、

コストも大幅にカットしないとダメだ、と実感できたそうです。

最近、「官製不況」という言葉があります。国の規制や方針転換によって

商売の根本条件が変わってしまうことに伴う不況を指します。

しかし、昔から、国の政策が変わることは何度もあったはずで、

その度、新しい条件下で生き抜くため、工夫をしてきたのが民間企業です。

国に頼るどころか、邪魔をされても、儲けを出して税金を払ってきたのです。

ただ、現代のグローバル化の中では、「国の政策・方針の変化」は

誰を採用するか、どんな機械を購入するか、とほぼ同程度の変数にすぎず、

日本の規制下では商売を続けることが困難であれば、

海外へ行って商売します、という企業が増えています。

「国を支えて国を頼らず」という言葉は福沢諭吉によるものですが、

「国を離れて国を頼らず」が今の多国籍企業の現状です。

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異なるものを受け入れる

ご存知のように、真珠は他の宝石とは異なり、

アコヤガイという貝の中で作られます。

先日、結婚式に出た際に、牧師が誓約する新郎・新婦に対して、

生まれも育った環境も違う2人が一緒に暮らしていくのは大変なことで、

2人で共通する部分よりも、違う部分の方が圧倒的に多くて、

違う部分を責めていけば際限なくて、でも、結婚するのは、

ちょうど、アコヤガイが自分の体の中に、変なものを入れられて、

それをはき出すことなく、自分の中に取り込んで、

大切に守っていくことで、最終的には綺麗な真珠が出来上がる、

といった話をしていました。こういう考えはキリスト教の中にあるのだろうか、

と疑問は感じましたが、良い話なので紹介します。

一神教の考えではなく、八百万の神の考えに近いとは思いますが。

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およげ!たいやきくん

一時期、ナナロク世代と呼ばれた1976年。

ロッキード事件で田中角栄氏が逮捕された事件の他に、

重大事件と言えば、「およげ!たいやきくん」の大ヒットです。

最近、「昭和ブーム」の影響で、ギネスブックにも掲載され、

再ブームとなっています。サラリーマンの悲哀を歌った、とも

言われているようです。

あまり知らない方のために、ストーリー紹介をすると、

鉄板の上で焼かれている日常がイヤになって、店の主人と喧嘩して、

広い海へ逃げこんで、自由に泳ぐ、楽しい日々を送ったものの、

最後には釣り針に引っかかって、見知らぬおじさんに釣られて、

「鯛焼き」として食べられる、という筋書きです。

中学の英語の授業の時に、as free as a birdという語彙を習ったとき、

ビートルズに「Free as a Bird」という曲があることをコメントした上で、

先生が、「そうはいっても、実際の鳥は全然、自由じゃない」

「鳥が空を飛ぶのは、餌を探すためで、1日中飛び回って

やっと1日分の食事にありつける、という生活だ」

「他の動物も、だいたいは餌を求めて走り回るだけで1日が終わる」

「人間だって、5000年前はその日の食事のために走り回っていた」

とか急に言い出して、「お前らは、その日の食事の心配をしないで

勉強したり、居眠りしたり、麻雀したり、本当、自由だよな。そうだろ?」

「この自由を謳歌できるのは、人間だけだし、人間が『社会』を作って

いるからだ。多くの人が協力して、各自が自分の役割を持って、分業して、

社会を形作っているから、食事のために走り回る必要がないってこと、

絶対忘れるなよ。」という、英語とは全く関係ない話でしたが、

先生の指示通り、今でも覚えています。

本当に大事なことはメモを取らなくても覚えていられる、という一例です。

「たいやきくん」の話から脱線しているように思うかもしれませんが、

「社会」の中では「終わらない日常」が強固で、その中で多少、

自由を味わっているように見えても、実際には、

その人の役割は消えておらず、あるきっかけで、役割が復活して、

その役割を全うすることで、その人の人生は完結する、

という人生哲学を歌っているように感じてしまうのは、考え過ぎでしょうか。

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明日を元旦と思えば

やっと、「HERO」のDVDが発売されました。

「あるべき」検察官像を描いたドラマで、

現実にはあり得ないと思いつつ、やはりヒーローものは燃えます。

あり得ないのは、1つの事件に専念できる、という点です。

さて、私の友人で、先日亡くなってしまった弁護士がいます。

もともと心臓に障害があって、

司法試験受験中にも緊急手術を受けたことがあります。

それでも試験勉強を続けて、見事、合格しました。

ただ、完治は難しかったようで、修習を終えて、

1日だけ弁護士事務所で働いて、翌日、急死してしまいました。

こういう場で書くべき内容ではないかもしれません。

ただ、先日、彼を偲ぶ会が行われ、そこで、修習所の教官が

「弁護士をずっと続けていると、どうしても気が抜けてしまうこともあって

信じられないようなミスをしたり、いい加減な仕事をしてしまったり、

ということもあります。

でも、1日だけ弁護士として働くことができた彼のことを思うと、

初心を忘れてはいけない、

彼のためにも、弁護士として立派な仕事をせねば、と思う」

と述べていました。

「今日を大晦日、明日を元旦と思えば、家庭は円満」といった

言葉が近所の教会に掲げられています。

ありきたりの話ではありますが、「どんなことにも真剣に取り組む」姿勢は

持ち続けたいものです。

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